みなさんこんにちは。
 私の名前は西宮 遥(にしのみや はるか)といいます。
 この春から高校一年生になりました。ほやほやです。
 小さい頃から高校野球を観るのが大好きだったので、
 野球部のマネージャーになりたいと思い、
 こうして部室を探しているのですが……
「むむ……」
 渡り廊下を歩いて部室棟にやってきましたが、
 お目当ての部室が見つかりません。
 というか、よく見ると文芸部ばかりで……そもそもの場所を間違えたような気がします。
 これは、引き返したほうが――
「あ!」
 迷える私の目に飛びこんできたのは、「野球」の二文字。発見しました!
 ドアの上に掲げられたプレートに、確かにそう書いてあります。
 ……その前後に不自然な余白があるような気がしないでもないですが、
 最後に手書きで「部」とあるからには、ここが野球部の部室に違いありません。
 ノックを忘れずに、できるだけ元気よく……行きます!
「失礼します!」
 扉の向こうにいたのは、2人の女の人でした。
 当然のように、その視線は私へと注がれます。
「ほ、ホントに来た!?」
「ほら! ウチの狙い通りやんか!」
 ツヤツヤした長い黒髪の人は、びっくり見開いた目で。
 短めの髪を二つに結んだもうひとりの人は、
 キラキラと輝いた目で、私のことを見つめてきます。
 ここは野球部のはずなので、マネージャーの先輩でしょうか。
「よ、ようこそ! さ、座って座って」
 黒髪の方に勧められるままに、近くのイスに腰かけました。
「あなた、1年生?」
「はい。あの、お二人は?」
「2年。ま、緊張せんと楽にしてやー」
 楽にしろと言われたので、私は室内をぐるっと見回してみました。
 泥まみれのスパイク、縫い目のほつれたボール、バットケースいっぱいのバット。
 私の想像していた野球部に欠かせないそれらが、この部屋にはひとつもありません。
「ここは野球部であってますか?」
「あー……あはは。似たようなもの、かなー」
「似たようなもの、というと……」
「ま、野球を愛する気持ちは一緒、っちゅーやつや」
 はて、なんだか妙な言い回しです。
「この部室に来たってことは、少なくとも野球が好きなんだよね?」
「はい。なので、マネージャーになりたいと思い……」
「そっかそっか、マネージャーかぁ……」
 なんでしょう。先輩方の笑顔が、どうにもぎこちない気がします。
「ほら、おびき寄せ作戦は成功や。あとはそっちがなんとかする番やで」
「いや、そうなんだけど……でも、いざとなるとやっぱりなんか」
「いざもござもあらへんよ! 堂々と言ったらええねん!」
 なにやらひそひそと話しているのですが、部屋が狭いので全部筒抜けです。
 そうこうしているうちに、黒髪の先輩が意を決したように立ち上がり――
「よ、ようこそ! プロ野球愛好会へ!」


     む?


「今、なんと?」
「あ、えーっと……ようこそ、プロ野球愛好会へ」
 プロ野球、愛好会……。
「ここは野球部ではないのですか?」
「ちゃうよ」
「ちゃうのですか!?」
「騙すようなことしてごめん! でも、あなたは野球が好きなんだよね?」
「はい。高級スイーツより硬球が好きです」
 ちなみにこれは、私が中学の頃から使っているお気に入りのフレーズです。ふふん。
「ならお願い! せめて、話だけでも聞いてくれないかな?」
「悪いようにはせーへんから、この通り……!」
 先輩のお二人に深々と頭を下げられてしまいました。
 これでは無碍に断るわけにもいきません。
「ここはね、プロ野球が大好きな女子たちで、思う存分プロ野球の雑談を楽しもうっていう場なの」
「人呼んでプロ野球愛好会。ちなみに男子禁制や」
「プロ野球愛好会……では、外の看板は……」
「あーでもせんと獲物……やのうて、新入生が興味を持ってくれへんと思たんよ。
 せやから『野球』の文字以外を厚紙で隠して、手書きで『部』ってつけ加えたんや」
 そんな!
「あんなのに騙される人なんていない、って言ってたんだけど……その、いろいろとゴメンね」
 なるほど納得です。
 野球部の部室は、青春の汗と涙と酸っぱいなにかの臭いに満ちているから気をつけろ、と、
 父さんから常々聞かされていたのですが……
 どうりでこの部屋は、甘いお菓子とシャンプーと、ほんのり漂う制汗剤の香りがするわけです。
「私たちには、どうしても新入部員を獲得したい事情があってね」
「なぜですか?」
「ま、よくある廃部の危機ってやつや。愛好会の存続には最低5人必要なんやけど、
 先輩方が卒業してしもたから、4人になってしもて」
「5人……でも、それならあと2人足りないのでは」
「実は、今日来てないのが2人いるの。一人は用事、一人は病欠でね」
 なるほど、まだ見ぬ先輩がいらっしゃるようです。
「ぶっちゃけ、話すだけなら駅前のマックでも誰かの家でもええんやけど……
 ウチらとしては、この快適な部室を取り上げられるのが痛いねん」
「つまり私は今、野球部と勘違いして入ったこの部室で、
 プロ野球愛好会の勧誘活動を受けている……ということですね」
「騙しちゃってゴメン!」
「いえ、それは構わないのですが……」
「それで、どうかな? ちょっとでもいいから、興味ないかな?」
 袖振り合うも多生の縁。こうして勧誘されているのも、きっとなにかの縁です。
 興味はそれなりにあるのですが、同時に大きな問題もあります。主に、私の側に。
「あ、そういえば自己紹介がまだだったよね。
 私は星乃 浜愛(ほしの はまえ)。プロ野球愛好会の部長を務めてるの」
 星乃浜愛先輩。はきはきとした口調に、どこか聡明な仕草と振る舞い。
 部長の肩書きに相応しい雰囲気をお持ちのステキな方です。
「私は西宮遥と言います。よろしくお願いします」
「おおー西宮! 甲子園のあるとこやん!」
「はい、そうなのです!」
「ウチは虎丸 虎々奈(とらまる ここな)、名前の通り虎党や!」
「とらとう……?」
「トラウトちゃうで? なっははは!」
 こちらの先輩は、喋り方からして関西の方でしょうか。こちらも明るくてステキな方です。
『とらとう』の意味は分かりませんが、先輩が楽しそうなのでよしとします。
(しかし、困りました……)
 いつ言い出せばいいのでしょう。私、高校野球は大好きなのですが……。
「あの……ここはやはり、プロ野球の話題限定なのでしょうか?」
「ううん、そんなことないよ。どっちかっていうと野球そのものが好きな部員が多いから、
 プロ野球だけって縛りはないの」
 なるほど。この流れなら言える気がします。勇気を持って……!
「すみません、あの」
「なに?」
「野球は野球でも、私が好きなのは高校野球で……」
「おー、ちょい前にセンバツやっとったなー。大阪同士の熱い戦いやったらしいやん!」
「はい! 史上初の大阪勢がぶつかり合う決勝の試合は、
 まさかの先頭打者ホームランを含む4本の一発攻勢で……あ、失礼しましたっ……」
「気にしないで。それで、どうかした?」
「はい、その……あくまでも高校野球専門で、プロ野球の知識は限りなくゼロに等しいのです……」
「そうは言っても、贔屓の球団くらいはあるでしょ?」
「ありません。それ以前に、球団がいくつあるのかも知りません」
「……え?」
「ウソやろ?」
「いえ、本当に……10球団? いや、もっとあったような……」
「…………」
「…………」
 せ、先輩方の沈黙が長いです! さすがの私も冷や汗というものが出てきました!
「ほなあれや! 実はメジャーの方が詳しいですっちゅーパターンやろ!?」
「無理です! メジャーはもっと無理です!」
「でも、イチローくらいは知ってるよね?」
「はい、それはさすがに……」
「他に、日本人メジャーリーガーは言える?」
「えー……松井選手……」
「おー……現役かどうかはこの際抜きにして、どっちや?」
「え?」
「おるやん2人。外野と内野で」
「そうなんですか?」
「…………」
「…………」
 先輩方が深刻な表情で顔を見合わせています!
 私、なにかマズいことを言ってしまったんでしょうか?
「あ、あとは?」
「……そのくらいしか……」
「んなアホなぁああ! ウソやろ!?」
「申し訳ありません! これが私の全身全霊なのです!」
「田中は!? 青木は!? 上原は!? 岩隈は!?」
「……くま?」
「ウソやぁああああああああああああっ!!」
「落ち着いて虎々奈! いるから! こういう人もいるから!」
「ドッキリちゃうんか!? どっかにプレート持ったスタッフがおるんちゃうんか!?
 高校野球が好きっちゅーことは野球が好きっちゅーことやろ!?
 なのにプロ野球はからっきして! 『くま?』って! 小首かしげて『くま?』って!」
「あ、くまはくまでも武隈なら知ってるかも! 頼れる中継ぎだし!」
「んなわけあるかーーー!!」
 頭をかきむしる虎々奈先輩を、浜愛先輩が必死になだめています。
 なんだか、悪いことをしてしまった気分です……。
「でも、逆にアリかもだよ! だって遥ちゃん、野球のルールとかは分かるんでしょ?」
「バッチリです。中学の頃はルールブックが愛読書でした」
「ウチらより詳しそうやな……」
「ゼロから知っていくほうが、たくさん楽しめそうじゃない。
 高校野球が好きなら、きっとプロ野球も好きになれるよ。私が保証する!」
 浜愛先輩が、私の手をぎゅっと包みこんできました。
「だから……私たちと一緒に、プロ野球を応援してみない?」
「応援……」
 入部して欲しい、と言われるより、なんだか心に響いた気がします。
 この人は、本当に野球が、プロ野球が好きなのだと感じました。
「私なんかでも、いいのですか?」
「もちろん! 野球が好きなら、それだけで大歓迎だよ」
「阪神ファンならなおさら歓迎や。ま、巨人ファン以外ならなんでもええけど」
「巨人、阪神……さすがに聞いたことがあるような」
「ぷっ……ふふっ、こーいうのも、なんや新鮮でオモロいかもな」
 プロ野球に興味を持つなんて、今まで考えたこともありませんでした。
 でも、今ならきっと楽しめる気がします。これから始まる高校生活と一緒に。
「それでは……今日から、よろしくお願いします!」